第3回 初級 基礎資料 その2

工作機械の歴史《問題5 問題6 参考》

工作機械の起源は古代エジプトにさかのぼります。エジプトの壁画には、ドリルの柄に弓の弦を巻き付け、弓を前後に動かしてドリルを回転させる工作機械の一種である「弓錐(ゆみぎり)」が描かれています。これが、ボール盤の最古の例で、この弓駆動方式はのちに旋盤にも応用されています。

切削のための道具が原始的なものから機械仕掛けによるものへ進化していったなかで、レオナルド・ダ・ヴィンチが1500年ごろ描いたと思われる工作機械のアイデアスケッチがあります。図2の旋盤は、ねじ式の芯押台と主軸ベアリングが2つ備わっていると考えられ、足踏み板①を踏むとベルト②が③部を引きフライホイール➃が回転して工作物が回るよう、当時としては画期的な「クランク機構」が盛り込まれていました。(しかしながら、17世紀にフランスで開発されたレンズ加工のための旋盤まで実際にクランク機構が使われた記録は残っていません。)

その後、水車や風車などの自然エネルギーも大型工作機械の駆動に利用されるようになりました。そして、近代的な工業生産財としての工作機械は、産業革命の推進力となった蒸気機関や紡績機械を製造する必要性から、1770年代にイギリスで発明されました。18世紀末以降になると、欧米各国で特色ある工作機械が次々と開発されるようになりました。

さて、日本における工作機械の歴史ですが、ペリー来航後、国防意識に目覚めた徳川幕府はオランダ人の意見を聞き入れ、洋式造船・造機技術を導入するため日本の技師や職人らに機械加工法を習得させます。1856年に幕府はオランダ蒸気船会社(NSBM)製工作機械を、長崎海軍傅習所の「轆轤(ろくろ)盤細工所」へ納入しました。これが日本で初めて複数台の工作機械を輸入した事例です。

日本で作られた初期の工作機械は、東芝の前身である民間最初の機械類製造工場「田中製造所」出身の2人が開発したとされています。1875年(明治8年)に伊藤嘉平治が作った全鍛鉄製足踏旋盤と、1889年(明治22年)に池貝庄太郎が池貝の前身である池貝工場の自社設備として作った、英式9フィート手回し式旋盤です。この旋盤は日本の工作機械メーカーが作った現存する最古の工作機械です。

明治後半から国産工作機械は数多く作られましたが、多くの需要は外国製に依存し、第一次世界大戦や太平洋戦争期を除いて、この傾向に変化はありませんでした。

太平洋戦争後の1949年、工作機械の輸入が再開され、業界では産学共同による外国製工作機械の性能分析や政府の試作補助金を活用した製品開発が行われました。そして、性能・品質の向上に努めるとともに、欧米を中心とした海外メーカーとの技術提携により技術導入を行うことで、工作機械の技術力向上を図りました。

また、工作機械の主要顧客産業であり、品質に厳しい目を持つ日本の自動車メーカーは、戦後まもなくの頃から、必要な国産工作機械を購入して欠点を指摘し、工作機械メーカーもその高い要求に答えることで育てられました。このことは今日に至るまで続き、日本の工作機械産業の強みとなっています。

さて、工作機械技術の大きな変革といえば、1952年米国マサチューセッツ工科大学(MIT)でコンピューターによる自動化技術、数値制御(NC)技術が開発されたことです。この技術の重要性をいち早く見抜いた日本は、技術の獲得を目指して即座に開発に着手し、1956年NC装置を開発し、鍛圧機械の一種で板金の打ち抜き加工によく使用されるタレットパンチプレス機のNC制御試作機が完成しました。

20世紀半ば、米国のNC工作機械は軍需、宇宙・航空機産業向けを中心とした大型高級機でしたが、日本製NC工作機械は中小製造業など一般ユーザー向けに開発されました。特に1970年代のオイルショックを機に省力化が進み、国内外における日本製NC工作機械の導入は大きく進展しました。

NC技術の進歩はその後、一度の部品取り付けで角物工作物を全て自動加工できるマシニングセンタや丸物工作物を加工できるターニングセンタ、さらに今日では、数種類の切削加工と研削加工、レーザー加工、そして近年普及が広まっている金属付加製造(金属3Dプリンター)など、新しい加工機能を取り込んだ複合加工機を生みました。

数年前からはNC工作機械のインターネット対応も進んでいます。IoT(モノのインターネット)により、工作機械本体に搭載されたセンサーから得られたデータを活用し、機械本体や生産現場の「見える化」を可能にしています。

目次
INDEX
前へ
(資料集 その1)
BACK
次へ
(資料集 その3)
NEXT
閉じる
CLOSE